<Autograph“・・沈黙・・”>
入退院を繰り返す父親が気力の衰えからか僅かなことにも反応して塞ぎ込む姿を見ているうちに、このままではいけないと思うようになり、出来る限りの協力をしてあげようと、音響上の観点から我が家で唯一のスピーカー設置場所として使用可能な一角を病人の寝床として使うことにしました。木製の引き戸で仕切れば6畳間に一人で寝ていることが可能で、一番奥の部屋でもあり最適であろうと考えての決断でした。私は4畳半で寝起きしているためベッド以外の家具を物置に移動し、場所を確保してからオートグラフを移動しました。今まで長年掛けて音づくりをしてきた経験から、この日をもってオートグラフでの音楽鑑賞を暫くの間休止することも決めました。庭にある「趣味部屋」のパラゴンがあるので当面は気がまぐれるだろうと自分を慰めての決断でした。
しかし、その後10年の長期間に及ぶことになるとはその時点では想像もしていませんでした。私もごく一般の人間であり気持ちの揺らぐことも起こり、この10年間で2度ほど気分転換が必要な状態まで追い込まれたことがありました。その時は、分かっているのにオートグラフにケーブルを接続してレコードを掛けてしまいました。しかし、この行為は翌日に繋がることは無くその日の30分ほどで終わり、翌日には接続ケーブルも自ら外して何ごとも無かったように冷静に戻ることができました。3年ほど経って体調が良くなりだしたことで、天気の良い日は庭に出て植木弄りなどが出来るように目に見えて回復の兆しが感じ取れるようになっていきましたが、一度失った元気を取り戻すことは容易なことではないようで、ちょっとしたことで無口になりすぐに床についてしまう日々がその後も続きました。
心臓病が原因のため何かの引き金で突然容体が悪くなることもしばしば起こり、気の抜けない日々が続きましたが、平成21年4月2日の昼食後に突然倒れて心肺停止後に蘇生しましたが、意識不明のまま5日後の7日に息を引き取りました。早死にした母親の分まで頑張ってくれましたので思い残すことは無かったことと思います。